2016年09月06日
(割と 比較的 当社比)真面目なPMC装備のお話
ここからは、「この道を先へ 未来を築く会社」 アトラス社の提供によりお送りします。
という訳で鎧2本立てでお送りしております今回のサバゲ。
もちろん真面目なゲームも(極々稀に、たまに、気が向いたら)やっているんですよ!
今回のガチ枠はPMC装備。軽装で荷物も多くならないので最適でしょう。
しかし、この軽装がまさかの落とし穴だったとは知る由も無かったのです・・・。
メインアームはタクティカルな感じでM4。
以前はTROYタイプのリアサイトと純正のフラッシュハイダーを付けていましたが、ナイツタイプのフリップアップリアサイトとこれまたナイツタイプのインコネルハイダーへ交換。
特に後者は銃を撃つのが上手い髭のおじさんが使ってるって言うし、民間かつプロっぽい雰囲気が出るんじゃないかと。
ストックとフォアグリップも、ナイツタイプのバーティカルフォアグリップとクレーンストックを付けていましたが、PMCということで民間仕様っぽさを出したかったということもありマグプルPTSとAFGへ交換。
サイドアームはグロック18C。
「拳銃はやっぱり45口径のシングルカラムが至高!」と公言して憚らない人間が9㎜、ダブルカラムのポリマーオートを持つって言うんですから、ずいぶん進化したと思いませんか。
と、ここまでは良かったのですが・・・。
なんと、「やっぱりゴテゴテの重装だよね」という謎の信念の元やってきたので、ベスト系の装備は軒並みタクティカルベスト(ごつい)かアーマーベスト(ごつい)しか持ってなかったのです。
プレートキャリアとか、チェストリグといったいわゆる軽装の類は一つも持っていません・・・。
仕方ありませんので、ベストはデルタボディアーマーのみにして、適当なポーチ類をベルトに装備することにしました。
で、冒頭のアトラス社のパッチを作ってベストに貼っておきました。
最初はブラックウォーター社にしようかと思いましたが、タブー感が半端ないのでアトラス社へ。
え?そっちの方がもっとヤバいことしてるだろって?
いや、インフラ整備とかやって地域に貢献してるし、災害の復興だってしたし・・・ねぇ?
アトラスの良い所は、法人登記された民間の国際企業なので議会の承認を得ずに国外で作戦行動ができます。私の権限でだ!
いや、まあ、自分もここの社長は最初から胡散臭いとは思ってたんですよ、マジで。
特に吹き替え版は声優が大塚芳忠氏ですからね。それで疑うなってほうが無理です。
で、こんな感じに。
この装備で歩いてたら「お前どうしちまったんだよ、頭でも打ったか?(意訳)」というお言葉を釧路組の何人かから頂きました。
ちょっと酷くないすか?一般的、普遍的な感じにしただけなのに!
まあ、普段が-500ぐらいですからね。0に戻るだけでも相対的に見ればそれはもうエラいことです。
いい感じのハマーでいらっしゃった方が居たので、ヤラせ写真を撮ったり。
記念撮影したり。
増えたり。
今回はガチっすわー。
「もでふぁいど・ぷろーん」とか「こすたうち」とか「みかたのりろーどちゅうにかばー」とかやったもん!
フィールドの状態(至るところが浸水)を見て、ナムナム装備を持ってこなかったのを激しく後悔したのは内緒だ!
鎧装備その①はこちら
鎧装備その②はこちら
2016年09月06日
昔はお前のようなサバゲーマーだったのだが、膝にBB弾を受けてしまってな・・・
スタァァップ!!!
首長の命により止まれ!お前は、マタギとその民に対して罪を犯した。何か釈明はあるか?
首長の従士だ。直ちに解放してもらおう。
>降参だ。記事を読もう。
分かった。監獄に連れて行け
逮捕に抵抗する
賢明だな。記事を読んでもらうぞ。最後まで読んだら自由の身にしてやる。
15世紀ごろのPMCです。どこからどう見てもPMC(傭兵)ですね。「フリーランサー」、「黒騎士」と呼んでも可。
フル装備したのを自分で見た感想は「ヤバい!これゲームで見た!」が先に来て「こいつバカだな・・・」と続きました。
北国スカイリムを放浪し、カルラディアで戦乱に巻き込まれ、「鎧を着る装備がしたいなぁ(バカ)」となっている所に、「乙女戦争」を読んだのが決定打となり、「近世ヨーロッパの火縄銃兵がやりたい!」と決意した次第であります。
この「乙女戦争」ですが、15世紀のフス戦争を描いたコミックでして、少女漫画のような可愛らしい絵に反して、内容はなかなかエグイ。
フス戦争といえば、ヨーロッパで大々的に銃器が使用された初の戦争であります。
※「フリーランサー」はその名の通りフリー(仕える主人を持たない)の騎士です。騎士はだいたい槍もってましたから、ランサーと言えば騎士を指すのです。
いわゆる個人事業主を意味する「フリーランス」の語源ですね。
「黒騎士」は何らかの理由で家名を明かせない騎士が、自身の盾を黒く塗りつぶしたことからそう呼ばれます。盾には家の紋章が描かれているのが普通ですからね。
まあ、大抵の人は黒騎士と聞けば↓こんなのを想像すると思いますが…。
人によっては小林源文先生のほうかもしれませんけど。
「フリーランサー」も「黒騎士」も必ずしも傭兵という訳ではないのですが、そういった連中はだいたい金で雇われる事が多いので傭兵にまとめてしまってもいいんじゃないかな…。
ボディーアーマーです!まさにアーマー(鎧)ですな!PMCは防弾ベスト着けてないと保険が出ませんからね!
ほら、あれだ、「ドラゴンスキン」っていう防弾ベストあったじゃん。
そんな感じ。ね、タクティカルでしょ?
(だいたいあってる)
これは「スケイル・アーマー」とか「スケイル・メイル」とか呼ばれる鎧ですね。
ドラゴンクエストとかで「うろこのよろい」なる名称で登場してたりします。
斬撃や矢に対してなかなかの防御力を発揮する上に、柔軟で動きを妨げないという、割と優秀な鎧だったようです。
まあ、後にチェインメイル(鎖帷子)が発明されて、そっちに取って代わられたようですが。
チェインメイルはただひたすら輪っかを繋げていくだけですから、時間と根気さえあれば大した技術はいりませんからね……。
首元の部分はチェインメイルで防御力を倍増です!
こういう「隙間部分をチェーンで補強」っていうのはメルカバ戦車でもやってますよね!
ほら、タクティカルでしょ?
つまり、中世のチェインメイルはRPG対策のために装備してたんだよ!!
Ω ΩΩ<な、なんだってー!!
チェインメイルは針金を切って曲げてちまちま。「ヨーロピアン」もしくは「八重鎖」と呼ばれる編み方です。
写真では少ししか見えてませんが10㎝×40㎝くらいの大きさはあります。
本当は、上着一着分とは言わないまでも、袖ぐらいは作りたいなと思ってたんですが、途中で心が折れて首回りのみに。
チェインメイルの出始めの頃は、「自領内にチェインメイルを作ることができる職人が居ることは貴族にとってステータスである」と言われるぐらい高価なものだったようですが、その理由が分かった気がします。
それにしても、「チェインメイル 作り方」で検索したらアクセサリー関係のサイトばっかり出るんだけど、いつから鎧が装飾品にジョブチェンジしたんですかね……?
鎧の下は「サーコート」という上着をイメージ。
でもサーコートって鎧の上から着るんじゃないかって?
いや、最初は確か汗で鎧が錆びないように鎧の下に着ていたはず。
あれ?それはまた違う奴だったかな?タバード?アクトン?よく分かんないわ。
まあ、そんな雰囲気ということで。
サーコートにはマルタ十字の紋章を入れました。十字架の中でもカッコよさは随一だと思います。
テンプル十字もカッコいいと思いましたが、アサシン教団につけ狙われたら堪ったものではないのでやめました。
紋章はもちろん十字軍の雰囲気で。
第四回十字軍のグダグダ感きわまるエピソードとか大好きです。
同じキリスト教の国家を襲撃して略奪の限りを尽くしたあげくに時のローマ教皇から破門されたというんですから、もう爆笑もんですね。
そんなんだから10世紀も経とうというのに未だに聖地エルサレムを奪還できないんだ。
最後の十字軍は13世紀ですから、15世紀を目指した今回の装備では聖地奪還運動はできません。
むしろ当初の目的通りフス戦争ですね。
ヘッドギアとして「サレット」を製作。15世紀ごろに流行った兜なので、年代的にもOKです。
最初はお手軽にノルマンヘルムを作ったのですが、視界が旧ザクだし、第一カッコよくないんで作り直しました。
この「サレット」、後のドイツ軍のヘルメットの形状に影響を与えたといいます。そして現代のPASGTヘルメットはWW2のドイツ軍のヘルメットから影響を受けています。
つまり、『サレット=シュタールヘルム=PASGTヘルメット』という関係が成立します。
これは、『サレット=PASGTヘルメット』と言い換えることも可能です。
そして、PASGTヘルメットは現用の軍隊のスタンダードであるタクティカルな装備です。
このことから、この式に「タクティカル」を代入すると『サレット=タクティカル』となります。
従って、『サレットはタクティカルである』という結論を導き出すことができます。以上、証明終了。
「敬礼」の動作は、その昔、戦場に赴く騎士が王に自分の顔を覚えてもらうため、もしくは自分が何者かを明かすことによって敵意が無いことを示すために兜のバイザーを跳ね上げるという動作が由来だと言います。
特に後者の理由の場合、利き腕(右手)でバイザーを動かすので武器を握れない、つまり敵意が無いことを強調するという意味もあるそうです。
ですから、よほどの理由がない限り敬礼は右手で行うんですね。
つまり、これこそが本物の敬礼だ!
今回の劇団長のイチオシはクロスボウ型エアガン。
「エアーコッキングガンを仕込めば弦を引く動作でコッキングできないか?」というロクでもない事を思い付き、実際にやってみたら案外いけそうだったので作ってみました。
ベースは東京マルイのエアコキのガバメント。東京マルイの人もこのエアガンがまさかクロスボウになるとは思うまい。
見ての通り少々カスタムしていた物です。これはバイオハザード装備合わせの時にカスタムしたもの。
アンブレラ社のエンブレムを入れてみたり、スライドストップをライブにしてみたり、リアサイトもノバックサイト風に改造してたりと、潰すには少々惜しいかなとも思いましたが、クロスボウの方が圧倒的に大事なんで仕方ない。
コッキングは、スライド部分のネジに弦を引っ掛けて引くという強引なもの。
割と力が要るので、足掛けを使って引かなければなりません。そういうどうでもいい所はリアル。
スライドを引いた後は弦をシアに引っ掛けます。トリガーを握ると発砲と同時に弦がリリースされます。
エアガン的にはどうでもいい機能ですが、どうしてもやりたかったのです。じゃないとクロスボウ作った意味が無いじゃないですか!
外見からしてネタでしかないようなエアガン(?)ですが、肝心の発射機構はマルイのノーマルまんまなので、射撃性能は1級品。
0.25gの弾を使えば、2~30mはスーッと真っ直ぐ飛んでいきます。
ゲームには1戦投入。あふれ出るネタ感に、当初は脅威として見られていなかったフシがありましたが、遮蔽物へ至近弾を浴びせたところ、相手チーム内では「あれはヤバい!」と排除すべき目標に格上げされたとか聞きました。
よく騎士(騎兵)が衰退したのは「銃の登場によって騎士の鎧を貫通できるようになったから」と説明されることもありますが、これは誤り。
クロスボウはもちろん、ロングボウでさえも騎士のプレート・メイルを貫くことができていたのです。
特にクロスボウは、第164代のローマ教皇に「クロスボウ使うの禁止!」と言わしめるほど、その威力はエグイものでした。
ですから、むしろ「銃の登場によって、誰もが騎士に対抗できる武器を手にすることができるようになった」のが騎士の衰退へと繋がっていたのではないかと思います。
クロスボウもロングボウに比べれば訓練の必要が少ない武器でしたが、弦の張力が40kgとか50kgあるのが普通でしたので、ある程度の筋力や体格が必要でした。
(ちなみに、熟練したロングボウの射手は左右で肩や腕の骨格が違うと言います。それほど熟練に長い年月がかかる武器でした)
その点、銃は「火薬と弾を込めて、狙って、点火する」ことさえできれば良いので、まさに「誰にでも扱える武器」であったでしょう。
武装はクロスボウとアルケブス、そして鉄砲足軽装備でも使ったフリントロック・カービン。
今では火縄銃もフリントロックも全部まとめて「マスケット」と呼ばれますが、銃の出始めの頃は「火縄銃(アルケブス)」のデカいやつを「マスケット」と呼んでいました。
当然、大きければ重いので、射撃の際には専用の銃架を使ったり、バルディッシュなどを銃架として代用していたと言います。
どうせならバルディッシュも作りたかったのですが、時間が無かったのでパス。
バルディッシュと言っても某魔砲少女のとは別物ですからね!検索してもそっちばっかりしか出ないけど!
ロシアのストレリツィ(銃兵隊)も制式採用した由緒正しい武器なのにね!こんなの絶対おかしいよ!
(スイス傭兵。しかも現用)
本当はスイスのPMCをやりたかったのですが、T百人隊長殿に止められたので、仕方なく…。
メインアームだってちゃんと売ってるのにね。
スイスの名物と言えば「銀行」「時計」「傭兵」と来るぐらいなので…ああ、それとチーズだ!チーズのためなら死んでもいい!
最後に、カルラディアの草原にての一枚。こんな感じがやりたくて…
和風の鎧装備の記事はこちら。
一般的、普遍的なPMC装備の記事はこちら。
2016年09月06日
やはり俺のサバイバルゲームは間違っている
長月は四日、真は「マタギであるぞ皆の衆、集まれい!」と云ふものが催されるはずであったのだが、あいにくの嵐により延ぶことになり申した。
であるが、一般のげぇむは催されると聞きて、拙者も馳せ参じた次第でござりまするので、しばしお付き合いくだされ。
いと読みにくいと思ふ人は、現代語版が下のほうなれば、ずいと「すくろうる」してくだされ。
当日の拙者の具足姿にて候。
「マタギに御大事あらば、一番に馳せ参じ」、人は之を「いざマタギ」と呼ぶので御座います。
我が甲冑は「雪ノ下胴」を目指して製作してございまする。
ちなみに、雪ノ下と云ひても、此方のらうたし御仁とは関わり無きにて候。
・・・只々これを云ひてみたかりき、相済まぬ、許せ。
横板を重ねて作る「桶側胴」や、それより細かゐ板を紐で繋ぐ「小札鎧」は手間がかかりそうであるし、かと云ひて簡単そうな「畳鎧」だと足軽のやうな雰囲気が強く、あまり格好が良くないと思ふ。
その点、雪ノ下胴ならばそこそこの手間で下級武士のごとき雰囲気を出せそうなり、しかば選び候。
あいにく、戦国時代につきての知識はあまり無き上に、鎧の構造は「防弾べすと」なるものを真覚えたれば、詳しき者に見らせればをつっこみを喰らうでありましょう。
甲冑の前面には「三つ大の字」を描いておりまする。病院とか「あんぶれら」な施設に掲げられていそうなでざいんなるが、立派な家紋なので御座る。
「全日本かっこいい家紋らんきんぐ」なるものがあれば、上位入賞は堅きことと思われましょう。
この家紋、鎌倉の世には既にすでに成立したりし図案なりしそうで、全世界標準で使はれし図案と似たるでざいんを600~700年前にはすでに考え出していたと云ふわけなり。
なほ日本人とは未来に生きたり候!
兜の前立ては半月にて候。
伊達家の武将の前立ては半月で統一されたりさうで、鉄砲と云えば伊達軍であろう!と云ふことで半月に決定。
それと、威し紐を青ベースにしたりて、イメージカラーの青き軍勢と云はば(拙者の中では)伊達軍であったので。
それもこれもだいたいこいつのせいにて候↓
伊達政宗公の前立ては三日月にて候。
妙見菩薩の力をもって、月や星には呪術的な力があると信ぜられており、武将たちはそれにあやからむと、三日月や半月をかたどりし前立てにすることも多かったと云ふ。
伊達家の家臣、一代目片倉小十郎こと片倉景綱の兜の前立ても半月にて候。
それに加へて、愛宕山大権現守護所より賜りし御札を重ねるといふものに御座る。
さて、具足に合わせんと、「石火矢」を製作せり。もすかぁとを撃つことができん。
これは火縄銃より古き、世界初となる鉄砲にて候。
この頃は引き金と云ふものは無き世にしたより、銃身にある穴より、火縄や焼けた鉄棒を直接差し込みて点火する、「差し火式」が主流なりき。
その後、曲がりくねりし形の金具で点火す「さあぺんたいん・ろっく式」を経て、「火縄式」や「燧発式」へ進化せん。
この手の「長き柄の先に銃身が付きたる鉄砲」は、
・あるけぶす
・ああきばす
・あるくびゅうす
・はっくばす
・はあけんびゅくせ
・はんどかのん
・はんどがん
・まどふぁ
・ぴすたら
・手銃
・手筒
・手砲
・火槍
・石火矢
などなど、よに様々なる名称に呼ばれたれば、お好きにお呼びくだされ。
あゝ、それから、「石火矢」と呼ぶは、あまり正なしなり。
にも関わらず、このような鉄砲が「石火矢」と呼ばるるが多いは、だいたいこいつらのせいで候↓
実を云ふと、日ノ本にはこの類の銃は使はれたことはほとんど無しなり、応仁の乱の際に使はれきといふ記述があるが、真偽は不明なり。
そして、此方に持ち出したるは「ふりんとろっく・かぁびん」にて御座る。
南蛮より伝わりし稀有な鉄砲にて候。なんと面妖なことに、火種が要らぬので御座る。
南蛮ではこの方式が最も新しいとは聞くが、我が日ノ本では肝心要の質の良い火打石が採れぬ。
質の悪しき物を使ふと、口薬に点火せんゆえ、不発が多く、火縄式に取りて代わることは無かりしにて候。
我が日ノ本では、南蛮の兵とは違いて足軽も具足を着込みて鉄砲を放つので御座る。
それゆえ、南蛮式の台尻が付きし鉄砲はいと邪魔となるので御座る。
その為、日ノ本の鉄砲は台尻が無くて銃把のみとなりたり候。
ゆえに、銃把を頬にしかと当てて構えるので御座る。
そういふ諸々の事情を勘案した撃ち方なりて、ゆめ鉄砲の扱いを知らずとか、いわんや
流派、「この世にて最も腕の立ちし刺客」の構えと云ふ事では御座らん。何卒お聞き入れ下され。
「もすかぁと」と「びぃびぃ玉」を収納せんと、胴乱も製作。
戦乱の世、鉄砲を扱ふ足軽は戦場にて火縄が足りなくなりても、硝石に煮ば火縄として使へるようにと、持ち物には縄が多く使はれていたと云ふ。
そう云ふわけに、胴乱の負ひ紐は革にあらず、紐を編んだものにしてみて御座る。
硝石は持ちたりすれば、やらんと思へば本物の火縄を作るべしと思ふが、危なしし、戦国の足軽も持ち物には硝石を浸しし火縄は使ひたらざりしには?と思い候。
鉄砲は撃つときに火の粉が飛びうつろへば、万が一火が移ると危険なりしかし。
胴乱も作りきし、ついでに早合も製作。
早合と云ふは、弾丸と一発分の火薬をあらかじめ量りて収めておく筒状の容器のことなり。
弾込めの際には栓を開けて銃口に流し込むのみに済めば、いちいち火薬を量りて装填する手間が省く。
これをもって射撃速度は二倍近き速さになりきといふ。
また、南蛮で用いられし、「ぱとろぉねん(紙薬莢)」と違ひて、木や竹に作られたりしため、いく度も使用でき候。
この状態に胴乱などに収めておくが一般的なりきめるが、それには折角作りしかど目に付かねば、紐に繋ぎてたすき掛けにする、「襷早合」にしてみて御座る。
先ず、早合を紐で一繋ぎにせんと、鞣し革にて部品を製作。
早合には1発か2発の「びぃびぃ玉」を収納でき候。
其れを、斯様に紐を編みて輪にせしものに括り付け候。
実際は10個以上を括りつけること常なりと云ふが、拙者のさばいばるげぇむではそんなに撃たないのでな!
して、げぇむの内容で御座る。
合戦と云うものは、まず「名乗り」をあげ、「一騎打ち」が行われ、「弓矢による射撃戦」の後に「両軍同士が衝突」するものにて候。
しからば、名乗りから始めんと、
「やぁやぁ、我こそは~『バシッ』
彼奴らは蒙古軍かー!!
名乗りの最中で攻撃してくるとは、武士の風上にも置けぬ卑怯な奴らで御座る。
戦の様式美と云うを少しも分かりたらず(至極当然也
南蛮の具足については此方也。
たくてぃかるなぴぃえむしぃについては此方也。
——————————現代語訳版——————————
9月4日、本来は「第四回マタギだよ全員集合!」が開催されるはずでしたが、あいにくの台風によって延期。
ですが、一般のゲーム自体は行うという事で遠征してきましたので、どうぞ。
当日の装備。
サバゲがあれば、すぐに駆け付ける「いざマタギ」の精神を感じられるかと思います。
甲冑は「雪ノ下胴」を目指して製作。
ちなみに、雪ノ下と言っても、この人とは関係ないんです。
・・・ただこれを言ってみたかっただけなんです!許してください!何でもしますから!
横板を重ねて作る「桶側胴」や、それより細かい板を紐で繋ぐ「小札鎧」は手間がかかりそうだし、かといって簡単そうな「畳鎧」だと足軽っぽさがMAXであまり格好が良くない。
その点、雪ノ下胴ならそこそこの手間で下級武士のような雰囲気を出せそうだったのでチョイス。
あいにく、戦国時代についての知識はあまり無い上に、鎧の構造は防弾ベストを真似ているので詳しい人に見られたら総ツッコミを喰らうでしょう。
まあ、詳しい人がその辺にごろごろ居るはずが無いので……いや、最近はそうでもないかも…刀剣乱舞とか…戦国BASARAとかの影響で…。
鎧の前面には「三つ大の字」を塗装しています。病院とかアンブレラな施設に掲げられていそうなデザインですが、立派な家紋なのです。
「全日本かっこいい家紋ランキング」というものがあったら上位入賞は堅いと思われます。
この家紋、鎌倉時代にはもう成立していた図案だったようで、全世界標準で使われるマークと似たようなデザインを600~700年前にはすでに考え出していたという訳です。
やっぱり日本人って未来に生きてんな!
兜の前立ては半月。
伊達家の武将の前立ては半月で統一されているそうで、鉄砲といったら伊達軍だろう!ということで半月に決定。
それと、威し紐を青ベースにしていて、イメージカラーが青い軍勢と言えば(自分の中では)伊達軍だったので。
それもこれもだいたいこいつのせい↓
伊達政宗の前立ては三日月。
いわゆる妙見信仰によって、月や星には呪術的な力があると信じられており、武将たちはそれにあやかろうと、三日月や半月の形の前立てを付けることも多かったのです。
ちなみに、ネギとゴボウを振り回すことで有名な、竜の右目こと片倉小十郎景綱の兜の前立ても半月。
プラス愛宕神社の御札を装着するというゴージャス仕様。
「装備に合わせた銃を持たないとならない教」を信仰しているので、装備に合わせて「アルケブス」を製作。モスカートを撃てます。
こいつは火縄銃より古い、世界初の銃火器です。
この頃は引き金などという気の利いたものは無い時代でしたから、銃身の穴に火縄や焼けた鉄棒を直接差し込んで点火する、「タッチホール式」が主流でした。
その後、S字型の金具で点火する「サーペンタイン・ロック式」を経て、いわゆる火縄銃である「マッチ・ロック式」や「フリント・ロック式」」へ進化していきます。
この手の「長い柄の先に銃身が付いている銃火器」は、
・アルケブス
・アーキバス
・アルクビュース
・ハックバス
・ハーケンビュクセ
・ハンドカノン
・ハンドガン
・マドファ
・ピスタラ
・手銃
・手筒
・手砲
・火槍
・石火矢
などなど、実に様々な名称で呼ばれておりますので、お好きなのをどうぞ。
特に、「ピスタラ」は察しの良い方はすでにお気づきだと思いますが、「ピストル」の語源となったとも言われています。
あ!それから、「石火矢」と呼ぶのはあまり正しくないそうです。
実際に石火矢と呼ばれたものは大砲クラスの大きさで、しかも弾と火薬を装填する部分はマガジンのように外せるので再装填が容易だという優れものだったみたいです。
まあ、閉鎖機構のような物は無いので、燃焼ガスの大半をロスする為に射程とか諸々はお察しだったようですが。
にも関わらず、こういった銃が「石火矢」と呼ばれることが多いのは、だいたいこいつらのせい↓
実を言うと、日本ではこの類の銃は使われたことはほとんど無いそうで、応仁の乱の際に使われたという記述があるそうですが、真偽は不明です。
そしていつものごとく、フリントロックカービン。
本当なら、KTWのタネガシマが欲しいところですが、あれはトレポンまでは行きませんが、次世代電動ガンが2丁は買える値段がするのでさすがにパス。
「西洋から渡ってきた珍しい鉄砲」という体で。
日本では良質な火打石が産出しないために、フリントロック式は不発が多く、信頼性が悪いという事で火縄銃を使い続けます。
その結果、日本の火縄銃はとにかくデカい奴、命中精度が凄い奴、拳銃、カービン、連発式の奴、といったガラパゴス的進化を遂げていきました。
現在でも、マスケット銃を使って行う国際的な射撃競技では、日本の火縄銃はよく当たるということで、多くの選手が日本製のものを使っていると言います。
日本の場合、西洋と違って鉄砲足軽でさえも鎧を着て銃を撃ちます。
そのため、うまく肩付けできないので、グリップを頬に当てて構えるという、独特の撃ち方をします。
実際、日本の火縄銃はグリップ部分までしかないソウド・オフのような形状で、ストックはありません。
そういう諸々の事情を反映した撃ち方であって、決して銃の構え方を知らないとか、ましてや
「そのキレイな顔をフッ飛ばしてやる!」という事でもないので、その辺はご理解願います。
モスカートとBB弾を収納するために胴乱も製作。
戦国時代、火縄銃を扱う兵士は戦場で火縄が足りなくなっても、硝石で煮れば火縄として使えるように、装備品には縄が多く使われていたといいます。
そういうわけで胴乱の負い紐は革ではなく紐を編んだものにしてみました。
硝酸カリウム(硝石)はなぜか持ってたりするので、やろうと思えばマジもんの火縄を作ることができると思いますが、危ないし、当時の兵士も装備品には硝石を浸した火縄は使っていなかったのでは?と思います。火縄銃は撃つときに火の粉が飛び散りますから、万が一引火すると危険ですしね。
胴乱も作ったし、ついでに早合も製作。
早合というのは、弾丸と一発分の火薬を計量して収めておく筒状の容器ことです。
装填の際には栓を開けて銃口に流し込むだけで済むので、いちいち火薬を計量して装填する手間が省けます。これによって射撃速度は二倍近い速さになったといいます。
また、西洋のパトローネン(紙薬莢)と違って木や竹で作られていたため、何回も使用できました。
この状態で胴乱などに収めておくのが一般的だったようですが、それでは折角作ったのに目に付かないので、紐で繋いでたすき掛けにする、「襷早合」にしてみました。
まず、早合を紐で繋げられるように、革のパーツを製作。
一応、早合にはBB弾を1、2発収納できます。
それを、紐を編んで輪にしたものに括り付けました。
実際は10個以上繋げることが多かったようですが、サバゲ的には6発も持てれば十分です。
というか1発か2発ぐらいしか撃たない(撃てない)し・・・
で、ゲーム内容です。
合戦というものは、まず「名乗り」をあげ、「一騎打ち」が行われ、「弓矢による射撃戦」の後に「両軍同士が衝突」するという流れで行われます(まあ鎌倉時代くらいまでだったようですが)。
そういうわけで、名乗りから始めることにしました。
「やぁやぁ、我こそは~『バシッ』
モンゴル軍か貴様らー!!
名乗りの最中で攻撃してくるとは武士の風上にも置けぬ奴らです。
様式美というものを分かっちゃいない(当たり前だ
西洋の鎧装備はこちら。
真面目な感じはこちら。